無名のぼくの記録

記憶に残らないような存在でも、確かにぼくは今日も幸せに生きている。

生きづらい

ぼくは世間で言う、いわゆるパブというもので働いている。
パブというのはキャバクラみたいなもので、マンツーマン接客ではない感じだ。
そんな商売をもう7年ほど続けている。
一度は夜の世界に疲れて飲食で働いたが、長続きしなかった。

それは決して、夜の稼ぎが良くて昼に戻れなかったという訳ではない。
そもそもの話、ぼくは自分と他人の距離感がうまく掴めない、他人がとても怖い、話す事は出来るがぼくの話す事柄は八割が嘘だ。
だからこそ、話すことがメインである夜の仕事は向いていないと思った。というより、現在進行形で思っている。

四年前に一度きつすぎて昼に働き始めた。
すると、思いの外に障害があった。
距離感も掴めず、毎日同じ人に会うのが辛くなった。従業員とだ。
その勤め先は小さな飲食店で、十名くらいのバイトと店長、副店長、オーナーと調理師数名がいたのだが、彼らと毎日顔を合わせるのが辛かった。
別に彼らに何かをされたわけではない、ただぼくの被害妄想と自意識過剰が膨らみ過ぎて抱えきれなくなったのだ。

人との距離感が掴めないというのは、とても恐ろしい。
どのラインまでさらけ出せばいいのかわからない。
言われたこと、聞かれたこと、語られたことに対してどれ程自分が思ったことを話せば良いかわからない。
だからこそ、ぼくの話は、9割か8割くらい嘘である。
お茶を濁したり、相手にとって好感触な答えを返す。そこに、大体のぼくの意思は無い。
それの積み重ねがつらいのだ。仕事を終えて、ふとんに入り目を閉じると過ごした一日が自動で瞼の裏側にて回想が始まり、ひとつひとつの自分の起こしたリアクションや回答、行動に対してネガティブに後悔してしまう。
それは誰に対しても何に対しても同じだが、職場の人間というのは毎日ほぼ顔を合わせるのだ。

僕は大体毎日、後悔する。
ぼくが唯一後悔しない日は、だれともあわずに一日引きこもっている日だ。
そんなぼくが、同じ人と毎日顔を会わせ、互いに干渉しあうという行為にストレスを感じない訳がない。

そもそも水商売の従業員のほうが淡白だ。
他人に深入りするキャストはいない、ボーイもそうだ。
客は毎日変わる、しっている客や指名客は面倒だがそれでも体の良いあしらい文句や嘘で固めれば変に深入りされることはない。
同じ嘘をついて、後悔するならば毎日顔を合わせるの人間が淡白な環境が良い。

学も資格もないぼくが、そうして枠に収まってしまったのが水商売なのだ。
人と付き合えないぼくが、人と接してナンボの商売にいるのは痴がましい話だ。腰掛けにも満たない働きぶりだ。
きっと、同業者でまじめに働いている方々からすれば嘲笑されるだろう。
だが、ぼくのように毎日特定の人と顔をあわせて話をして生活をしなければならないというのが辛い人にはぴったりなのだ。

ぼくも今年で27になる、ぼくの今の夢は、貯金をして転職することだ。
工場でずっと黙って仕事をしていたい。誰とも話すことなく一日を終えて、のんびりとしたい。
もう歳も歳で、難しい夢だというのはわかっている。しかし、小さな夢だ。

本当は、ずっと眠っていたい。
布団の中で、夢を見ているとき、ぼくは自責の念から逃れられる。

現実は、とても難しい。
だからせめて、夢の中では静かでありたい。